Tuesday, January 03, 2006

功名が辻に出るそうだ

うちの田舎が。 土佐の仁淀川沿いの小さな部落である。 3代前くらいに出てから100年近くほったらかしにされた田舎である。100年ぶりに行ったのは僕だ。 土佐は地図で見るよりよほど山深い。仁淀川は大きな川だがV字谷を形成するような奥山の大曲りの河原から山壁に貼りつくように鎌井田部落はある。戦国時代に長宗利部の九州討伐に敗れてこの佐川に近い山中に落ちのび、開墾してうちは庄屋となった。江戸時代の代々の墓は朽ちてはいたが地元の方の協力で一通り綺麗になっている。何故か南北朝期と思われる石塔が二つあり戦国時代という設定とは符合しないのだが正直わからん。本家は高知市にあるのだが今はそちらに墓を作っているので、結局分家の次男である私が行くまでほったらかしだったわけだ。ひでえ。 ここまで定期便はない。バス停のようなちっぽけな道の駅が越知にあるが(城下町の佐川からそれほど遠くは無い、「落ち」の変名。ここでいう「落ち」はうちではなく壇ノ浦から逃げ延びた平家方のことだというから落ち武者部落というのが重ねがさねしていくほど山奥ということだ)、其処から老人用バスに同乗させてもらって山間を行かないと届かない。私が小さいころはランプしかなかったとか、火葬場がないから荼毘にふしたとかいう話も聞いたがだいたい100年本家も行ってない筈なので家系内風説なのだろう。 まあ、100年ぶりの墓参りの話は昔書いたおぼえがあるのでこのへんにしておくけれども、山内は尾張の出身であるから多分本編ではなく最初に古い土佐を紹介するロケ地として選ばれたのが鎌井田だったというだけだろう。エキストラとして村の人総勢出演したというが、だいたいちっぽけな部落なのでたかが知れているだろう。山内の子孫とは同級生だったが東京でのことである。土佐人は東を見るクセがあるらしい。 NHK大河をもう何十年も見ていないが、初回だけは録画の準備をしておいた。写真はとってあるが、動いている田舎を見たいように思うから。 竜馬もこんなところから出てきたのであります、興味があれば見ておくんなまし。山越えるのがものすごくたいへんだということがわかるでしょう。近在で同門郷士だったので、かれの書や肖像画があったというけれども、土佐の人は執着しないから全部誰かにやってしまったみたいだ。まあ、たいていの歴史なんてそんなもんだろう。岩崎弥太郎に金貸した証文もあるというけど、時効だね。 そんな田舎です。三が日は終わりだ。 ちなみにK1のレフェリーで岡林というのは親戚だそうです。別のレフェリーに仕事で伺ったことがあるので、K1と縁がなきにしもあらずなのだな。

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