Sunday, February 19, 2006

starwarss return of the jedie



らくがき置き場がバグってるので。

Friday, February 17, 2006

もろもろ

音盤漁り落ち着いたと思ったら本30000円くらいかってもうた。どーすんだよ給料日まで!ネ申田は店減ってもう古書目当てじゃあてが外れるばかりだ。

で、新品買うしかないわけで。「かうしか」ってナウシカににてる。わいいとして、国書刊行会本はほんとにむかしから高い!!入手をまよいつづけた江戸妖怪絵巻ものをいっきに買った。

さいきん和モノを離れてるので揺り戻しにかったわけだが、水木フィルターがかからない江戸女夭怪ってつくづくシエ戸臭い。こりやあやつぱり原本みなけりやあ元のいみが曲がってつたわるつてえたくひのもんた。江戸っ子の感覚なんですよ。狩野派出身のじつは浮世絵界では重要人物である鳥山石燕、かれが現代の水木サンのように妖怪の意味を一定水準の画により平準総括したから、妖怪は今みたいな変な実在論をまぢえた権威になっちまったんだね。

原意を汲み真のニュアンスをあらはした、妖怪画の「現代語訳」が今こそ必要だんなあ。
とにかく妖怪てドウモ江戸臭いんだ。詞ひつくるめて江戸っ子臭い。洒落やマニアック趣味や遊びにまみれてる。そこを「現代語訳」したいなあ、うちのHPのひとつの目標ではあるけれど。水木サンは芸術家すぎる。絵師として個性がつよいから江戸っ子の偏狭な趣味をひろげてしまう。素朴で下手くそな土佐絵の妖怪が目標だな、ラクガキ師としては。もちろん現代語訳としてさ。アニメ絵趣味とかあったら面白い現代語訳ができたろうに、生憎年代的に趣味がないからなあ。萌え萌え妖怪画とか書きたかったなあ。萌え萌えぬらりひょんとか。

そうそう、姫国山海録の読み方を間違えてた。英語版のほうにHIMEGUNIて書いてたがKIKOKU音読みの間違い。食いついてくれた人に悪いなー、と修正いったらブログのラクガキの一部が消えてた。おおざっぱだなああいかわらずアメリカて国はあ。復旧したらなぜかフランスとかドイツとかからアクセスが。いつにない食いつき。修正しても更新扱いになるのかあそこは?うーむ。

ま、七冊三日でラクガキ化してみせる。ネ申おりてこい。・・・趣味人として度を越してますよ。付き合い悪いですよ。

河童駒引考買っちったよ、ハードカバー。比較民俗学のほうがしっくりくるわ。日本のオカルトて日民チックで文芸色こゆすぎ。京極サンやら多田サンやら東サンやらみんな文芸や日本民俗学系。唯物考古のあたしゃアウトサイダー。にしてもうちには昔大量に折口系の本あったけど、誰が読んでたんだ?先祖に民俗いたのかね。

ニチミンといえば故宮田登先生だなあ。厳しくて単位とれないしちーともオカルト出てこないってからゼミやめといたけど、とっときゃ自慢できたんだよなあ。ニチミン系の有象無象のヤカラに。あの人超霊感あるって評判だったけど、崇拝してるニチミンマニアがそのてのこと語ってるの聞いたことない。直接教わったやつに言わせると無茶苦茶気味悪いらしい。階段の上に立ち尽くす宮田先生、「どうしたんですか?」と声かけると今、階段の踊り場に、しゃがんでる、って。いなくなったと言って降りてったらしい。誰か宮田先生の霊感について知らんかなあ?

Saturday, February 04, 2006

白髪になった犬

きのうブロードキャスターの「お父さんのためのワイドショー講座」で「白髪になった犬~忠犬ソニア」の話題を取り上げていた。黒犬ソニアが主人が亡くなってからどんどん白くなっていき、今や白犬になってしまったというもの。もちろん病気ではない。これが一晩ならベルばらのマリー・アントワネットなのだが、一年ということでやや拍子抜けするところもあるけど、問題はその白くなりかた。連続写真によると、まだらに脱色されていき、どんどん白毛に侵食されていく感じで、非常に「気味の悪い」あきらかな白化ぶりなのだ。

問題はこの話題がテレビではもちきりだったはずなのに、ネットじゃ一切出てこないこと。ネットの偏向ぶりを改めて確認させられた。メディアの融合なんて、ネット側からもありえないわけだ、このままじゃ。

Friday, February 03, 2006

八兵衛は夜泣く



中沢新一さんのディープ東京本を感傷的になぞった深夜番組(録画)を見ていたら、古い東京が懐かしくなって何気に手近にあった「東京オリンピック直前の東京」写真集を手に取った。旧軍時代の施設や今は無い戦前建築の崩壊寸前な写真など貴重なんだけど、その中になんとまあ八兵衛の夜泣き石の写真が載っているではないか(詳しくは本サイトのどっかに書いた)。キリシタン遺跡として壊滅した(詳しくは本サイトの江戸東京コラムに書いた)元和キリシタン受難記念碑(碑自体はこの写真集の出版すぐ前に作られた新しいもので、今は上智かなんかに移設してあるらしい)の写真もある。夜泣き石のほうは戦前に比べ明らかに小さくなっているけど(向かって左側の三角石)どうやらこの感じだと今割れた状態で散置されてる石のどれかに相当する石があったように思う。毎日新聞社「写真東京風土記」田中雅夫編昭和39年12月20日発行、最後のページに抽象画が鉛筆でかいてある。子供のころラクガキしたらしい。昔からラクガキばっかな子だったんだなあおれ。

ああ風が鳴る、夜が泣く。裏の家が途絶えて空き地になったら風が吹くたび部屋が揺れるようになった。宮沢賢治の夜だ。

日本人はすぐオカルトとゆう





お化けとかそのへんの世界が好きな人を見てにほんじんはすぐオカルトズキとか言うけど、ほんとはオカルティシズムて言葉はニュアンス的に適切じゃないわけで(西欧の宗教生活の中ではぐくまれた伝統的な神秘主義の意味合いが強くサタニズムなんかとも親和性がある)、日本で言う怪奇心霊話のたぐいはホラーとかテラーとかジンジャーとか(おやじぎゃぐ)スーパーナチュラルとかいろいろと別のもっとニュートラルな言い方があるのだ。そんなことはいいとして、おもむろに手近な本の表紙でも。権利どうたらいうやつはオカルトな目にあわしたる(当事者権者だったら土下座する)。

Thursday, February 02, 2006

どーでもいいと思いますinオカルト

遅ればせながら「怪談界」の諸所に頻発する異変を一通り見渡して、思った。



どーでもいいじゃん。



怪談文学だの実話怪談だの、文系用語じゃどうとでも定義可能なもんで、そこをいろいろ机上で論じ合ってもせんないこと。「実話」「実録」という名称が胡散臭いタブロイド記事の蔑称として通用した時期もあることを念頭におくと、後者がガチである必然性もそもそもない。実録即ち近代ジャーナリズムの体をとることによりリアリズム様式とも呼べる文学形態をなした創作も多く、このへんの線引きは微妙でケースバイケースであるし、それをまた判断する根拠も「人ノ口に拠るしかない」という意味で不確かにならざるをえないという、根源的な問題がある。

科学的な厳密さを求めるなら物凄く狭いことしか言えなくなるだろう。実際懐疑主義的な立場から怪談なんて眺めなおすと非常につまらない穴に陥ちる。デカルトだったかなんだったか忘れたが、モノゴトを捉えるとき、それを見つめる「観察者」という自己が存在する以上、主観を絶対的に排することはできない。これは科学自身だってよく陥るジレンマでもある(最近の生化学分野における実験結果捏造発覚のニュースなんかその最たる例ですな)。必ず何かの媒体(怪談の場合「話者」かねえ)を介して伝わるものである以上、それが本当にホンモノの話であることを証明するには、主観の余地のない「客観的証拠(端的な物的証拠だってあてにならない、写真のたぐいなら尚更)」が存在すること、さらにその「再現性」があることは不可欠の条件であり、それが共に厳密に担保出来ない限りは干草山中針を探すような空しい空論になるだけで、つまるところ「どこで”虚偽”と”真実”の線引きをするの?」といったところにどうしても主観を入れざるをえなくなるものなのだから、「実話実録」の類に無闇に拘り突っ込むことには土台意味がないように思えるのです。

めんどくさくなったので終わり。別にジャンル限定とかねえ、わざわざ「怪談募集」とかいう賞を乱設しても、怪談以外の分野で力を発揮してる人のほうがよほど怖いもの描けたりするわけで、私ナンザ怪談嫌いで幻想好きなのだから、興味ないです。幻想文学も人気ないからなあ、微妙繊細すぎて金にならず書き手も集まらないというのもある。