遅ればせながら「怪談界」の諸所に頻発する異変を一通り見渡して、思った。
どーでもいいじゃん。
怪談文学だの実話怪談だの、文系用語じゃどうとでも定義可能なもんで、そこをいろいろ机上で論じ合ってもせんないこと。「実話」「実録」という名称が胡散臭いタブロイド記事の蔑称として通用した時期もあることを念頭におくと、後者がガチである必然性もそもそもない。実録即ち近代ジャーナリズムの体をとることによりリアリズム様式とも呼べる文学形態をなした創作も多く、このへんの線引きは微妙でケースバイケースであるし、それをまた判断する根拠も「人ノ口に拠るしかない」という意味で不確かにならざるをえないという、根源的な問題がある。
科学的な厳密さを求めるなら物凄く狭いことしか言えなくなるだろう。実際懐疑主義的な立場から怪談なんて眺めなおすと非常につまらない穴に陥ちる。デカルトだったかなんだったか忘れたが、モノゴトを捉えるとき、それを見つめる「観察者」という自己が存在する以上、主観を絶対的に排することはできない。これは科学自身だってよく陥るジレンマでもある(最近の生化学分野における実験結果捏造発覚のニュースなんかその最たる例ですな)。必ず何かの媒体(怪談の場合「話者」かねえ)を介して伝わるものである以上、それが本当にホンモノの話であることを証明するには、主観の余地のない「客観的証拠(端的な物的証拠だってあてにならない、写真のたぐいなら尚更)」が存在すること、さらにその「再現性」があることは不可欠の条件であり、それが共に厳密に担保出来ない限りは干草山中針を探すような空しい空論になるだけで、つまるところ「どこで”虚偽”と”真実”の線引きをするの?」といったところにどうしても主観を入れざるをえなくなるものなのだから、「実話実録」の類に無闇に拘り突っ込むことには土台意味がないように思えるのです。
めんどくさくなったので終わり。別にジャンル限定とかねえ、わざわざ「怪談募集」とかいう賞を乱設しても、怪談以外の分野で力を発揮してる人のほうがよほど怖いもの描けたりするわけで、私ナンザ怪談嫌いで幻想好きなのだから、興味ないです。幻想文学も人気ないからなあ、微妙繊細すぎて金にならず書き手も集まらないというのもある。
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