Thursday, January 19, 2006

恐怖の正体

前も書いたことだが、ちょっとホラーの手法ということを考えさせられた。「悪魔の棲む家」がリメイク公開される。壁から血がどばーと流れたり、ガラスが割れたりといたって騒々しい内容のホラー映画だ。しかし本当の恐怖というのはそういう物理的な畳み掛けで煽られるものなのだろうか。番宣を見ながら、いや、こんなのより、たとえば一晩中まったくの無音状態で、しかし夜中の0時ぴったりに必ず
ことり。
と音がする。それだけ。しかしそれだけのもののほうがよほど、恐怖ではないかと思う。ジャパニーズホラー好きにはそんなの当然だろと言われそうなことだが、改めて70年代後半西欧ホラーからスプラッタにいたる流れを思い起こすに、寧ろ騒々しいのは賑やかで楽しいものなんだよなあ、と(特にバタリアンやクリープショウあたりのスプラッタになるとブラックコメディだ)思った。

Tuesday, January 10, 2006

年賀状全廃宣言(ほんとに出したい相手を除く)

あー、今年はほんとに出し損だった。

郵便局も辛いよな、というか、ほんと年賀状離れしてるんだなあ、みんな。全部別の柄で出せそうな範囲になってきたよ(殆ど別の柄だが)。しかし1週間たってやっと返ってきたりとか、出して返ってこない数が例年になく多かった。だから今年はいいかげんやめようとおもったんだよなー。くそー、うっかり出しちったよ。上の人に対してはオトナとして返ってこなくても出すからそれはともかく、タメ以下は全廃して見たいやつだけ宛にWEBで公開しとくかなー。どっかに年賀状専門サイト作って(たんなるアルバムサイトともいう

虚礼虚礼って言うけどさ、虚かどうかはてめーが決めるんじゃねーんだよ、ほんとうは。勘違い多いけどさ、てめーの都合で礼を失してるだけなんだよ。虚かどうかは最終的には出した相手次第だ。俺の場合は返ってこなくてはじめて虚なんじゃないかと気づいたわけだが、キレもするわなこんなに子供な関係のやつが多かったかと今更ながら落胆してるわ。趣味趣向馴れ合い関係の連中はダメだな。それに比べて前も書いたけど、40台以上の人って殆どしっかりしてるよ。住所録に登録されてるだけだとはいえ、こちらが出す出さないに限らず出してくる人が殆どだ。

これは虚礼じゃない。礼だよ。受け取るこっちが、礼と感じたわけで、出さなかったのであわてて即返した人も結構いた。 貰ったもんはフツー返すよな。何か言い訳するならともかく、全く何の反応もないと、死んだかと思うよ。死んだら香典出さなきゃなんねーだろ。それも、虚礼か?

くれぐれも、弱さや傷の舐め合いや愚痴の言い合いで成り立ってた仲間連中ってのは、 あてになんねーよな。くそ。 対して、人間的に嫌いな奴苦手な人との間のほうがむしろ、こういう礼の面でもきちっとしてるってのは確かにある。たぶん、人間的にお互い成長できる相手ってのは、そーいう「合わない連中」のほうで、やっぱ馴れ合いに浸るってのは人間よくない。敢えて合わない世界に首突っ込んでくのが生き方として深みが出てくる、というのは言うまでもないことだけど、、、難しいんだけどね。

(さいきんの不機嫌は年賀状にすべての原因があります)

当然、いっつも逢ってる連中とは別に賀状なんてやりあう必要はないとは思ってるよ。約三名、おめーらには、つくづくだよw

Thursday, January 05, 2006

INTO DEEP

このままでいーんだろうか、と思う。

遅い。

それはわかってるんだけど、ふと、やっぱりなんか違和感があるのだ。

遅い。

それはわかってるんだけど、ふと、我にかえるような気がすることがあるのだ。

だいぶ昔に眠りについた自分の目が醒めたような感覚。

だいぶ昔、そう、高校生くらいのころじゃないのか。

遅い。

どっちがほんとうなんだろう?

今の自分は間違いなく昔思っていた未来の自分ではない。

かといって昔の自分が今ここにある以上の自分を想像をしていたとも思えない。

遅い。

それはわかってる。

だけれどもふと思うのだ。

あのときもう少し勇気があれば、どうなっていたんだろう?

あのときもう少し外れる勇気があれば、どこへ行っていたんだろう?

あのときもう少し現実という虚像から外れる勇気があれば、俺はどういう世界で何をやっていたんだろう?

今何一つ得られていない虚無感に絶え間なく苛まれる中で、ふと思うのだ。




今外れたら、どうなるんだろう。

失うものはない。








・・・遅い。

遅い。

Wednesday, January 04, 2006

文章を書くことへの憧れ

・・・人がどこから来て、どこへ行くのかなんて、ほんとは誰もわかっちゃいない。ただひとつ確かなのは、墓場に行くことだけ。

雑誌の追悼号を続けざまに読んだ。

涙が出た。
それは別に知り合いではない全くの無関係な人だけど、寄せられた文章のひとつひとつから発される地声の悲しさに、素直に泣けた。全てが巧い文章ではない、むしろ下手が多いのだが、ほんとうに書きたいことが先におっきくあって、今書けることはその一部にすぎない、そんな文章が多くて、そのウラが読めて泣けてくる。

昔の人は不自由なコミュニケーション手段しかもたなかったから、交わせる少ない情報を補うため、ありったけの想像力を駆使していた。少ない言葉や音から壮大であったり激情であったりしのつく雨のような悲しさであったりさまざまな感情をかもし出す繊細な表現、それを受容して理解する力をもっていた。

昔の小説は面白くない、昔の音楽は楽しくない、ごもっとも。でも、それは昔の人のせいじゃない。こちらの想像力が欠けているだけなのだ。

・・・全てを極限まで削りたい。最小限にしたい。

そして、昔の人に読んでもらいたい。

(某コミュニティの自己紹介より転載)

Tuesday, January 03, 2006

功名が辻に出るそうだ

うちの田舎が。 土佐の仁淀川沿いの小さな部落である。 3代前くらいに出てから100年近くほったらかしにされた田舎である。100年ぶりに行ったのは僕だ。 土佐は地図で見るよりよほど山深い。仁淀川は大きな川だがV字谷を形成するような奥山の大曲りの河原から山壁に貼りつくように鎌井田部落はある。戦国時代に長宗利部の九州討伐に敗れてこの佐川に近い山中に落ちのび、開墾してうちは庄屋となった。江戸時代の代々の墓は朽ちてはいたが地元の方の協力で一通り綺麗になっている。何故か南北朝期と思われる石塔が二つあり戦国時代という設定とは符合しないのだが正直わからん。本家は高知市にあるのだが今はそちらに墓を作っているので、結局分家の次男である私が行くまでほったらかしだったわけだ。ひでえ。 ここまで定期便はない。バス停のようなちっぽけな道の駅が越知にあるが(城下町の佐川からそれほど遠くは無い、「落ち」の変名。ここでいう「落ち」はうちではなく壇ノ浦から逃げ延びた平家方のことだというから落ち武者部落というのが重ねがさねしていくほど山奥ということだ)、其処から老人用バスに同乗させてもらって山間を行かないと届かない。私が小さいころはランプしかなかったとか、火葬場がないから荼毘にふしたとかいう話も聞いたがだいたい100年本家も行ってない筈なので家系内風説なのだろう。 まあ、100年ぶりの墓参りの話は昔書いたおぼえがあるのでこのへんにしておくけれども、山内は尾張の出身であるから多分本編ではなく最初に古い土佐を紹介するロケ地として選ばれたのが鎌井田だったというだけだろう。エキストラとして村の人総勢出演したというが、だいたいちっぽけな部落なのでたかが知れているだろう。山内の子孫とは同級生だったが東京でのことである。土佐人は東を見るクセがあるらしい。 NHK大河をもう何十年も見ていないが、初回だけは録画の準備をしておいた。写真はとってあるが、動いている田舎を見たいように思うから。 竜馬もこんなところから出てきたのであります、興味があれば見ておくんなまし。山越えるのがものすごくたいへんだということがわかるでしょう。近在で同門郷士だったので、かれの書や肖像画があったというけれども、土佐の人は執着しないから全部誰かにやってしまったみたいだ。まあ、たいていの歴史なんてそんなもんだろう。岩崎弥太郎に金貸した証文もあるというけど、時効だね。 そんな田舎です。三が日は終わりだ。 ちなみにK1のレフェリーで岡林というのは親戚だそうです。別のレフェリーに仕事で伺ったことがあるので、K1と縁がなきにしもあらずなのだな。