・・・人がどこから来て、どこへ行くのかなんて、ほんとは誰もわかっちゃいない。ただひとつ確かなのは、墓場に行くことだけ。
雑誌の追悼号を続けざまに読んだ。
涙が出た。
それは別に知り合いではない全くの無関係な人だけど、寄せられた文章のひとつひとつから発される地声の悲しさに、素直に泣けた。全てが巧い文章ではない、むしろ下手が多いのだが、ほんとうに書きたいことが先におっきくあって、今書けることはその一部にすぎない、そんな文章が多くて、そのウラが読めて泣けてくる。
昔の人は不自由なコミュニケーション手段しかもたなかったから、交わせる少ない情報を補うため、ありったけの想像力を駆使していた。少ない言葉や音から壮大であったり激情であったりしのつく雨のような悲しさであったりさまざまな感情をかもし出す繊細な表現、それを受容して理解する力をもっていた。
昔の小説は面白くない、昔の音楽は楽しくない、ごもっとも。でも、それは昔の人のせいじゃない。こちらの想像力が欠けているだけなのだ。
・・・全てを極限まで削りたい。最小限にしたい。
そして、昔の人に読んでもらいたい。
(某コミュニティの自己紹介より転載)
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