Wednesday, June 07, 2006

弱い握手

滅多に握手などしない。

ここ1年で恐らく3,4回ほどしかしなかったろう。

その中に、弱い握手のかたが何人かいて、

その身を案じたりもしていた。


うまく言葉が見つからない。


しかし音はあくまでアグレッシブで、ひたすら求道的なまでに強く、揺さぶるように、囁くようにひびき、

その音があの弱い手から紡ぎだされていたその、余程の気力と、

意思と、


うまく言葉が見つからない。

何かとても、極端な世界を行き来しているな。
ああいうかたがたにとってみれば、私など微温湯暮らしの何も残らない人生の上を唯ふらふらと、歩んでいるだけのように見えるんだろう。それは感じていた。

しかしこれほど実感として感じたことはない。

もう個人的に人生のクリティカルな判断を色々と下し始めている、私にとってこの邂逅は少しの間だったけれど、

忘れられぬ感慨とともに、

己の生き様を見直す重いきっかけをくれた。

それがもうあれきり遂に聴けなかった私への、あのひとからの最後のプレゼントだったのか。


うまくまとまらない。こんな時間に、こんなニュースを、しかも間接的に知るというのは、とても重く、悲しい。素直に悲しい。

しかし悲しんで呉れるな、と言うだろう。

遺されたものをもう一度聴こう。


それが一番の。。

Tuesday, April 18, 2006

著作権移譲表記がなかったので

某百貨店の某ブログで書いた記事が消されるとやなので転載しておく。 二種類の芸風で提灯風味で書いてみたのであった。殆ど時間かけてないので、内容の浅さはとりあえず、おいておいて。



2006年01月24日の記事
キッチンに遊ぶ。
[ 16時51分 ] [ こだわりの商品 ]


紅茶用のポットが割れてしまった。「コーヒー用」の硝子ポットが割れてしまった、と言ったほうが正しいか。兼用である。とにかく、困った。いろいろな店に行ったけれど、気に入るものがない。ふと立ち寄った三越本店で、キッチン用品の店を覗いてみた。KitchenLABOさんだ。・・・あ、ハリオ。ハリオは硝子メーカー。茶葉を網で押さえてそのまま淹れられる一人用のスリムな紅茶ポットで有名だ。・・・あるある。ちょうどいいのがあった。紅茶の目盛も付いているから使える。背が低い平型で、うっかり手が当たっても落ちにくいようになっている。そうそう、こういうのだ。これを買っていくことにした。とても手ごろなお値段。ついでに店頭を目で物色することにした。よくよく見ていくと面白いものが揃っている。


これ何でしょ?シーズンものですね。「チョコレートフォンデュ」の機械です。チーズじゃないよ。色も形もかわいい。火を使わないしコンパクトだから、バレンタインにこれ持って出かけて一緒にフォンデュ、なんてどうだろうね・・・男だからよくわかりません。簡単に湯せんができるので、子供のお菓子作りにも使える。型や道具もいろいろついてお値段もお手ごろ。Mini Fondue Maker、赤、青、緑、黒の4色。saltonというブランドです。





ちょっと面白いのがこのゴム製の鍋つかみ。普段はまっ平らなので滑り止め仕様の鍋置きになるし、固い瓶の蓋も開けられる。耐熱だからちょっとした熱い容器でも持てます。面白いなあ。汚れないし場所もとらない。こういうお手ごろでちょっと気のきいたキッチン用品が多くて、雑貨好きは目移りしてしまう。私は料理をやったりもします。










圧力鍋も進化してますねえ。これ、ドイツのメーカーの取っ手付き「圧力鍋」なんです。高さが無いので置き場所にも困らないし、手軽に使えそう。・・・ほしいなあ。ちょっと高級すぎるかな、私には。
















定番のル・クルーゼのホーロー鍋・・・うーん、、、いいお値段だけど、実は家で使ってます。めっさ重くて安定しているから、粗暴な私にも(?)使いよいのだ。別に「炒め物がくっつきにくい加工」は施してないのだけれども、何故か滅多にくっつきません。オーブンにも使ってます(取っ手が溶けるかもしれないので、使うときはアルミホイルか何かを蓋のかわりにしたほうがいいと思いますが)。ハート型の鍋もある。カラフルで、いろいろ出てるんですねえ。この小さな小さな鍋とか、キッチンの飾りにもいい。これは実用品だけど(何に使うんだろう?)、火にかけないならかなり手ごろなものもあります。菓子容れなんかに使えそうだ。実用鍋でなくとも重さはあるから、手が当たっても割れにくそうだ。・・・といろいろ紹介していると尽きないくらい、それほど広い店でもないのに面白いものが取り揃えてあった。また物色しにこようかな、と思いながら新館地下へ。前回売り切れていたクラブハリエのバームクーヘンを買った。ハリオで淹れた紅茶と一緒に、今晩は少し、ほっとできそう。



[ 更新日時:2006年01月24日 17時37分 ]

2006年01月13日の記事
あかり、かたち。
[ 23時16分 ] [ 日記 ]


日本橋三越本店。ここに来るといつも日本の中心に立った心地がする。そしてとても懐かしくなる。明治の遠の昔をにおわす日本橋をわたるとすぐ新館入口がある。周囲の闇と対照的なとても明るい光が放たれている。ここには夜来るとよい。本館の外観にはロンドンのデパートを思い出させる重厚さがあるが、押し付けがましさは無い。大きなライオン二頭がしかし何気なく来る者を迎える。内部はアール・ヌーヴォの香りのする造形に彩られた昭和初期建築。設備は新しくなってはいるが、凝った装飾には煌びやかな時代の香りがする。



金色。この建物に入って感じるのはまず、金色。そして煌々と床を照らすあかりの様々な形。本館のあかりは楽しい。天井を見ながら歩くとよい。さまざまな形をした白灯のパズルのように組み合うさまを見ていると飽きない。近来の建築には見られない丁寧な設計の産物だ。



日本文化は「粋」だという。しかし私はそうは思わない。「粋」は爛熟しきった江戸文化の裏返しの概念にすぎない。ほんらい日本・・・江戸文化は日光東照宮に象徴されるような、とことん派手で明るいものであると思う。本館中央で威容を誇るまごころの陶像には、天女を包みこむ緻密な装飾の燃え上がるような壮大な絡み合いに、江戸の昔から脈々と伝えられた「派手文化」の象徴を見る思いがする。









吹き抜けの天井からはステンドグラスを僅かに配した白硝子を通して眩い光が降り注ぐ。バルコニーを幾重にも張り巡らせたルネサンス式の建築造形を見上げてから、像の裏に回ってパイプオルガンの下にもぐりこむと、そこには不思議な狭い空間がある。この建築にはこういった「遊び」の空間が諸所にある。昭和初期の建築らしいところだ。外壁に接していない丸窓を発見して喜ぶ。桃色の大理石の中にアンモナイトやベレムナイトが潜んでいる。歴史は人類から遥かに遡った上古にかえる。

様々な階段やエスカレーターはだまし絵のように不思議な組み合いかたをしていて面白い。迷路を巡るような、ちょっとした探検気分を味わえる。レトロな博物館を見て廻っているような気になってくる。

そうそう、紅茶。今日は紅茶を買いに来たのだった。新館地下に降りると、茶色い筒のようなものがいくつも吊ってある。何かと思ったらバームクーヘンだ。「切り株」の名のとおり、切る前は丸太のようなんだな。ケバブを横にしたような不思議な姿。翻ってメイソンの青いあかりの手前に香港のペニンシュラがある。ペニンシュラを買うのは初めてだ。まだファストフラッシュには早い(当たり前だ)。新鮮なセカンドフラッシュが出ていた。茶葉の香りは弱いが、そのほうが軽いから格好だ。紅茶を飲むのは夜だ。夜は軽いものか、優しいハーブとのブレンドがいい。もっとも紅茶ほど乾いた香りと煮出した香りの違うものもないのだが、淹れ方でも全く違ってくるし、一概には言えない。ストレートで飲むダージリンはなるべく新鮮であるに越したことは無く、またある程度名の通ったところのものは飲み易い。これがいいだろう。あともうひとつ、気分の落ち着くハーブというとラヴェンダーかカモミール、しかし前者は少し強く匂いつく感じがする。ミルクを入れるなら甘いカモミールのほうがいい。というわけで、今日はセカンドフラッシュとカモミールの二つを買った。ほっとする週末、日常の苦いコーヒーで荒れた胃を爽やかな紅茶で鎮めることにしよう。明るく開放的な店をあとにし、またしばらくまた館内をうろつくと程無く閉館時間が来た。冬の冷たい空気に黄色い明かりが名残を残して、駅はもうすぐだ。

Saturday, April 15, 2006

ぼくらは分子化合物のように。

そんなことを言われても返す詞もない。かといってまっとうに問われても同じだろう。どちらの意味にとったとしても、結果は一緒なのだ。 綺麗ごとなんてこの世にはないと思っていたけれど、空は晴れ渡り海はどこまでも黒潮の色をたたえ、ぽつんとあるレストランで、何時間座っていたのだろう。 車を降りたときには空気は湿気をはらみ、淡い霞が白い亡霊のように流れていた。 街灯を離れ、時よりも深い闇が、揺らぎつつも全てを曖昧な幻へ返していく。 街灯の下にはもう彼女はいない。 無意味に羽ばたく翼が、無性に悔しかった。 サンキュ

Tuesday, March 28, 2006

オカルトマニア帝国の崩壊

まー古いオカルト実録界の重鎮たちが西のお空へ次々と旅立っていった今、こういう事態はいずれくるものだと思っていたが。ネットなんか見てるとあきらかにプロノンプロ限らず(プロであることに拘るのって文章と音楽だけだよなー・・・どうなんだよってかんじもするが)みんな飽きてきてる。もしくは興ざめしてしまった。もしくは私みたいに、オカルトである必然性すらないものだと思うようになってきてる。意味伝わるかな?つまりオカルトは何か他のもの他のことを楽しむうえでの一つのギミックにすぎない分野である、と諦めてしまったということだ。

実証派はリアル世界にかえっていき、娯楽派は商業的なものに完全にベクトルをあわせてしまった。だからネットは不毛になってるね。むやみと創作した「ネット伝説」を広げようとするガキも、単発するだけで継続しない。いや、ネット伝説自体に以前ほどの威力はなくなっている。逆にネットはジェネラルになってしまったので、マニアが居づらい環境になってしまった。それだけのことかもしれないが。

さてどーすっかなー?

うちのサイトはブログなんて世の中になかったころから運営してる「日記」だし、ふしぎと感じたことは随時アップしていくけど、コーナーによってはかつて頻繁に更新していたところでも1ヶ月放置したり、さっき気づいたんだが、何年も自分でも見てない場所もある。整理しなきゃなー、と思ってたのは学生時代のこと(そのころはほんとに紙面の日記だった)、今更無理。ネットにのっけておくことで自分の備忘録になるという側面は私は非常にメリットと感じているので、備忘録までに権利だなんだ言われたくないからここ数年殆ど宣伝してないし、実際来る人も限られている。無名であることは自由であることだ。クーチカやアイヴズが大好きな私はこんなかんじで続けていくんだろうな、今後も。それにしてもネットは移り変わりが早い、登場人物が頻繁に入れ替わるのは、「骨のねーやつらばっかだなw」としか言いようがないですねえ。

田中貢太郎先生の正確な墓所がやっとわかった(役場のかたありがとうございました)。某有名古書店で桃葉先生の句紙が二束三文だったので買った。気に入って今も生のまま枕許に飾ってある。ミクシの日記にちょっと書いて画像も載せた。季節はずれ命日はずれの墓参りは何の酒持ってくかなー?

高知県高知市仁井田三里ふれあいセンターの南「高知市三里墓地公園」内(ずいぶんでかいとこに集められたんだなー・・・)

区画までわからないが、意地で探してやるうー。ついでに聖神行って録音でもしてくるか。楠をなでたら祟られるかな?最近「やつら」来ないので、そんなことも軽々しく言う気分の今日このごろ、いかがおすごし?あと野根山街道は大丈夫そうなのでちょっとだけ(16キロ)歩いてきます。妖異に足の指とられないか心配だ。

Sunday, February 19, 2006

starwarss return of the jedie



らくがき置き場がバグってるので。

Friday, February 17, 2006

もろもろ

音盤漁り落ち着いたと思ったら本30000円くらいかってもうた。どーすんだよ給料日まで!ネ申田は店減ってもう古書目当てじゃあてが外れるばかりだ。

で、新品買うしかないわけで。「かうしか」ってナウシカににてる。わいいとして、国書刊行会本はほんとにむかしから高い!!入手をまよいつづけた江戸妖怪絵巻ものをいっきに買った。

さいきん和モノを離れてるので揺り戻しにかったわけだが、水木フィルターがかからない江戸女夭怪ってつくづくシエ戸臭い。こりやあやつぱり原本みなけりやあ元のいみが曲がってつたわるつてえたくひのもんた。江戸っ子の感覚なんですよ。狩野派出身のじつは浮世絵界では重要人物である鳥山石燕、かれが現代の水木サンのように妖怪の意味を一定水準の画により平準総括したから、妖怪は今みたいな変な実在論をまぢえた権威になっちまったんだね。

原意を汲み真のニュアンスをあらはした、妖怪画の「現代語訳」が今こそ必要だんなあ。
とにかく妖怪てドウモ江戸臭いんだ。詞ひつくるめて江戸っ子臭い。洒落やマニアック趣味や遊びにまみれてる。そこを「現代語訳」したいなあ、うちのHPのひとつの目標ではあるけれど。水木サンは芸術家すぎる。絵師として個性がつよいから江戸っ子の偏狭な趣味をひろげてしまう。素朴で下手くそな土佐絵の妖怪が目標だな、ラクガキ師としては。もちろん現代語訳としてさ。アニメ絵趣味とかあったら面白い現代語訳ができたろうに、生憎年代的に趣味がないからなあ。萌え萌え妖怪画とか書きたかったなあ。萌え萌えぬらりひょんとか。

そうそう、姫国山海録の読み方を間違えてた。英語版のほうにHIMEGUNIて書いてたがKIKOKU音読みの間違い。食いついてくれた人に悪いなー、と修正いったらブログのラクガキの一部が消えてた。おおざっぱだなああいかわらずアメリカて国はあ。復旧したらなぜかフランスとかドイツとかからアクセスが。いつにない食いつき。修正しても更新扱いになるのかあそこは?うーむ。

ま、七冊三日でラクガキ化してみせる。ネ申おりてこい。・・・趣味人として度を越してますよ。付き合い悪いですよ。

河童駒引考買っちったよ、ハードカバー。比較民俗学のほうがしっくりくるわ。日本のオカルトて日民チックで文芸色こゆすぎ。京極サンやら多田サンやら東サンやらみんな文芸や日本民俗学系。唯物考古のあたしゃアウトサイダー。にしてもうちには昔大量に折口系の本あったけど、誰が読んでたんだ?先祖に民俗いたのかね。

ニチミンといえば故宮田登先生だなあ。厳しくて単位とれないしちーともオカルト出てこないってからゼミやめといたけど、とっときゃ自慢できたんだよなあ。ニチミン系の有象無象のヤカラに。あの人超霊感あるって評判だったけど、崇拝してるニチミンマニアがそのてのこと語ってるの聞いたことない。直接教わったやつに言わせると無茶苦茶気味悪いらしい。階段の上に立ち尽くす宮田先生、「どうしたんですか?」と声かけると今、階段の踊り場に、しゃがんでる、って。いなくなったと言って降りてったらしい。誰か宮田先生の霊感について知らんかなあ?

Saturday, February 04, 2006

白髪になった犬

きのうブロードキャスターの「お父さんのためのワイドショー講座」で「白髪になった犬~忠犬ソニア」の話題を取り上げていた。黒犬ソニアが主人が亡くなってからどんどん白くなっていき、今や白犬になってしまったというもの。もちろん病気ではない。これが一晩ならベルばらのマリー・アントワネットなのだが、一年ということでやや拍子抜けするところもあるけど、問題はその白くなりかた。連続写真によると、まだらに脱色されていき、どんどん白毛に侵食されていく感じで、非常に「気味の悪い」あきらかな白化ぶりなのだ。

問題はこの話題がテレビではもちきりだったはずなのに、ネットじゃ一切出てこないこと。ネットの偏向ぶりを改めて確認させられた。メディアの融合なんて、ネット側からもありえないわけだ、このままじゃ。

Friday, February 03, 2006

八兵衛は夜泣く



中沢新一さんのディープ東京本を感傷的になぞった深夜番組(録画)を見ていたら、古い東京が懐かしくなって何気に手近にあった「東京オリンピック直前の東京」写真集を手に取った。旧軍時代の施設や今は無い戦前建築の崩壊寸前な写真など貴重なんだけど、その中になんとまあ八兵衛の夜泣き石の写真が載っているではないか(詳しくは本サイトのどっかに書いた)。キリシタン遺跡として壊滅した(詳しくは本サイトの江戸東京コラムに書いた)元和キリシタン受難記念碑(碑自体はこの写真集の出版すぐ前に作られた新しいもので、今は上智かなんかに移設してあるらしい)の写真もある。夜泣き石のほうは戦前に比べ明らかに小さくなっているけど(向かって左側の三角石)どうやらこの感じだと今割れた状態で散置されてる石のどれかに相当する石があったように思う。毎日新聞社「写真東京風土記」田中雅夫編昭和39年12月20日発行、最後のページに抽象画が鉛筆でかいてある。子供のころラクガキしたらしい。昔からラクガキばっかな子だったんだなあおれ。

ああ風が鳴る、夜が泣く。裏の家が途絶えて空き地になったら風が吹くたび部屋が揺れるようになった。宮沢賢治の夜だ。

日本人はすぐオカルトとゆう





お化けとかそのへんの世界が好きな人を見てにほんじんはすぐオカルトズキとか言うけど、ほんとはオカルティシズムて言葉はニュアンス的に適切じゃないわけで(西欧の宗教生活の中ではぐくまれた伝統的な神秘主義の意味合いが強くサタニズムなんかとも親和性がある)、日本で言う怪奇心霊話のたぐいはホラーとかテラーとかジンジャーとか(おやじぎゃぐ)スーパーナチュラルとかいろいろと別のもっとニュートラルな言い方があるのだ。そんなことはいいとして、おもむろに手近な本の表紙でも。権利どうたらいうやつはオカルトな目にあわしたる(当事者権者だったら土下座する)。

Thursday, February 02, 2006

どーでもいいと思いますinオカルト

遅ればせながら「怪談界」の諸所に頻発する異変を一通り見渡して、思った。



どーでもいいじゃん。



怪談文学だの実話怪談だの、文系用語じゃどうとでも定義可能なもんで、そこをいろいろ机上で論じ合ってもせんないこと。「実話」「実録」という名称が胡散臭いタブロイド記事の蔑称として通用した時期もあることを念頭におくと、後者がガチである必然性もそもそもない。実録即ち近代ジャーナリズムの体をとることによりリアリズム様式とも呼べる文学形態をなした創作も多く、このへんの線引きは微妙でケースバイケースであるし、それをまた判断する根拠も「人ノ口に拠るしかない」という意味で不確かにならざるをえないという、根源的な問題がある。

科学的な厳密さを求めるなら物凄く狭いことしか言えなくなるだろう。実際懐疑主義的な立場から怪談なんて眺めなおすと非常につまらない穴に陥ちる。デカルトだったかなんだったか忘れたが、モノゴトを捉えるとき、それを見つめる「観察者」という自己が存在する以上、主観を絶対的に排することはできない。これは科学自身だってよく陥るジレンマでもある(最近の生化学分野における実験結果捏造発覚のニュースなんかその最たる例ですな)。必ず何かの媒体(怪談の場合「話者」かねえ)を介して伝わるものである以上、それが本当にホンモノの話であることを証明するには、主観の余地のない「客観的証拠(端的な物的証拠だってあてにならない、写真のたぐいなら尚更)」が存在すること、さらにその「再現性」があることは不可欠の条件であり、それが共に厳密に担保出来ない限りは干草山中針を探すような空しい空論になるだけで、つまるところ「どこで”虚偽”と”真実”の線引きをするの?」といったところにどうしても主観を入れざるをえなくなるものなのだから、「実話実録」の類に無闇に拘り突っ込むことには土台意味がないように思えるのです。

めんどくさくなったので終わり。別にジャンル限定とかねえ、わざわざ「怪談募集」とかいう賞を乱設しても、怪談以外の分野で力を発揮してる人のほうがよほど怖いもの描けたりするわけで、私ナンザ怪談嫌いで幻想好きなのだから、興味ないです。幻想文学も人気ないからなあ、微妙繊細すぎて金にならず書き手も集まらないというのもある。

Thursday, January 19, 2006

恐怖の正体

前も書いたことだが、ちょっとホラーの手法ということを考えさせられた。「悪魔の棲む家」がリメイク公開される。壁から血がどばーと流れたり、ガラスが割れたりといたって騒々しい内容のホラー映画だ。しかし本当の恐怖というのはそういう物理的な畳み掛けで煽られるものなのだろうか。番宣を見ながら、いや、こんなのより、たとえば一晩中まったくの無音状態で、しかし夜中の0時ぴったりに必ず
ことり。
と音がする。それだけ。しかしそれだけのもののほうがよほど、恐怖ではないかと思う。ジャパニーズホラー好きにはそんなの当然だろと言われそうなことだが、改めて70年代後半西欧ホラーからスプラッタにいたる流れを思い起こすに、寧ろ騒々しいのは賑やかで楽しいものなんだよなあ、と(特にバタリアンやクリープショウあたりのスプラッタになるとブラックコメディだ)思った。

Tuesday, January 10, 2006

年賀状全廃宣言(ほんとに出したい相手を除く)

あー、今年はほんとに出し損だった。

郵便局も辛いよな、というか、ほんと年賀状離れしてるんだなあ、みんな。全部別の柄で出せそうな範囲になってきたよ(殆ど別の柄だが)。しかし1週間たってやっと返ってきたりとか、出して返ってこない数が例年になく多かった。だから今年はいいかげんやめようとおもったんだよなー。くそー、うっかり出しちったよ。上の人に対してはオトナとして返ってこなくても出すからそれはともかく、タメ以下は全廃して見たいやつだけ宛にWEBで公開しとくかなー。どっかに年賀状専門サイト作って(たんなるアルバムサイトともいう

虚礼虚礼って言うけどさ、虚かどうかはてめーが決めるんじゃねーんだよ、ほんとうは。勘違い多いけどさ、てめーの都合で礼を失してるだけなんだよ。虚かどうかは最終的には出した相手次第だ。俺の場合は返ってこなくてはじめて虚なんじゃないかと気づいたわけだが、キレもするわなこんなに子供な関係のやつが多かったかと今更ながら落胆してるわ。趣味趣向馴れ合い関係の連中はダメだな。それに比べて前も書いたけど、40台以上の人って殆どしっかりしてるよ。住所録に登録されてるだけだとはいえ、こちらが出す出さないに限らず出してくる人が殆どだ。

これは虚礼じゃない。礼だよ。受け取るこっちが、礼と感じたわけで、出さなかったのであわてて即返した人も結構いた。 貰ったもんはフツー返すよな。何か言い訳するならともかく、全く何の反応もないと、死んだかと思うよ。死んだら香典出さなきゃなんねーだろ。それも、虚礼か?

くれぐれも、弱さや傷の舐め合いや愚痴の言い合いで成り立ってた仲間連中ってのは、 あてになんねーよな。くそ。 対して、人間的に嫌いな奴苦手な人との間のほうがむしろ、こういう礼の面でもきちっとしてるってのは確かにある。たぶん、人間的にお互い成長できる相手ってのは、そーいう「合わない連中」のほうで、やっぱ馴れ合いに浸るってのは人間よくない。敢えて合わない世界に首突っ込んでくのが生き方として深みが出てくる、というのは言うまでもないことだけど、、、難しいんだけどね。

(さいきんの不機嫌は年賀状にすべての原因があります)

当然、いっつも逢ってる連中とは別に賀状なんてやりあう必要はないとは思ってるよ。約三名、おめーらには、つくづくだよw

Thursday, January 05, 2006

INTO DEEP

このままでいーんだろうか、と思う。

遅い。

それはわかってるんだけど、ふと、やっぱりなんか違和感があるのだ。

遅い。

それはわかってるんだけど、ふと、我にかえるような気がすることがあるのだ。

だいぶ昔に眠りについた自分の目が醒めたような感覚。

だいぶ昔、そう、高校生くらいのころじゃないのか。

遅い。

どっちがほんとうなんだろう?

今の自分は間違いなく昔思っていた未来の自分ではない。

かといって昔の自分が今ここにある以上の自分を想像をしていたとも思えない。

遅い。

それはわかってる。

だけれどもふと思うのだ。

あのときもう少し勇気があれば、どうなっていたんだろう?

あのときもう少し外れる勇気があれば、どこへ行っていたんだろう?

あのときもう少し現実という虚像から外れる勇気があれば、俺はどういう世界で何をやっていたんだろう?

今何一つ得られていない虚無感に絶え間なく苛まれる中で、ふと思うのだ。




今外れたら、どうなるんだろう。

失うものはない。








・・・遅い。

遅い。

Wednesday, January 04, 2006

文章を書くことへの憧れ

・・・人がどこから来て、どこへ行くのかなんて、ほんとは誰もわかっちゃいない。ただひとつ確かなのは、墓場に行くことだけ。

雑誌の追悼号を続けざまに読んだ。

涙が出た。
それは別に知り合いではない全くの無関係な人だけど、寄せられた文章のひとつひとつから発される地声の悲しさに、素直に泣けた。全てが巧い文章ではない、むしろ下手が多いのだが、ほんとうに書きたいことが先におっきくあって、今書けることはその一部にすぎない、そんな文章が多くて、そのウラが読めて泣けてくる。

昔の人は不自由なコミュニケーション手段しかもたなかったから、交わせる少ない情報を補うため、ありったけの想像力を駆使していた。少ない言葉や音から壮大であったり激情であったりしのつく雨のような悲しさであったりさまざまな感情をかもし出す繊細な表現、それを受容して理解する力をもっていた。

昔の小説は面白くない、昔の音楽は楽しくない、ごもっとも。でも、それは昔の人のせいじゃない。こちらの想像力が欠けているだけなのだ。

・・・全てを極限まで削りたい。最小限にしたい。

そして、昔の人に読んでもらいたい。

(某コミュニティの自己紹介より転載)

Tuesday, January 03, 2006

功名が辻に出るそうだ

うちの田舎が。 土佐の仁淀川沿いの小さな部落である。 3代前くらいに出てから100年近くほったらかしにされた田舎である。100年ぶりに行ったのは僕だ。 土佐は地図で見るよりよほど山深い。仁淀川は大きな川だがV字谷を形成するような奥山の大曲りの河原から山壁に貼りつくように鎌井田部落はある。戦国時代に長宗利部の九州討伐に敗れてこの佐川に近い山中に落ちのび、開墾してうちは庄屋となった。江戸時代の代々の墓は朽ちてはいたが地元の方の協力で一通り綺麗になっている。何故か南北朝期と思われる石塔が二つあり戦国時代という設定とは符合しないのだが正直わからん。本家は高知市にあるのだが今はそちらに墓を作っているので、結局分家の次男である私が行くまでほったらかしだったわけだ。ひでえ。 ここまで定期便はない。バス停のようなちっぽけな道の駅が越知にあるが(城下町の佐川からそれほど遠くは無い、「落ち」の変名。ここでいう「落ち」はうちではなく壇ノ浦から逃げ延びた平家方のことだというから落ち武者部落というのが重ねがさねしていくほど山奥ということだ)、其処から老人用バスに同乗させてもらって山間を行かないと届かない。私が小さいころはランプしかなかったとか、火葬場がないから荼毘にふしたとかいう話も聞いたがだいたい100年本家も行ってない筈なので家系内風説なのだろう。 まあ、100年ぶりの墓参りの話は昔書いたおぼえがあるのでこのへんにしておくけれども、山内は尾張の出身であるから多分本編ではなく最初に古い土佐を紹介するロケ地として選ばれたのが鎌井田だったというだけだろう。エキストラとして村の人総勢出演したというが、だいたいちっぽけな部落なのでたかが知れているだろう。山内の子孫とは同級生だったが東京でのことである。土佐人は東を見るクセがあるらしい。 NHK大河をもう何十年も見ていないが、初回だけは録画の準備をしておいた。写真はとってあるが、動いている田舎を見たいように思うから。 竜馬もこんなところから出てきたのであります、興味があれば見ておくんなまし。山越えるのがものすごくたいへんだということがわかるでしょう。近在で同門郷士だったので、かれの書や肖像画があったというけれども、土佐の人は執着しないから全部誰かにやってしまったみたいだ。まあ、たいていの歴史なんてそんなもんだろう。岩崎弥太郎に金貸した証文もあるというけど、時効だね。 そんな田舎です。三が日は終わりだ。 ちなみにK1のレフェリーで岡林というのは親戚だそうです。別のレフェリーに仕事で伺ったことがあるので、K1と縁がなきにしもあらずなのだな。